かっぱの日記帳

日常思ったことを綴る。備忘録。

麻酔科医の話。

今朝ある麻酔科医と小児科医と看護師と話をしていた。

そこでいろいろな話をした。政治の話、スタッフの問題、栄養失調の患者とその予後の悪さ、などなど。

 

ドイツ人である麻酔科医はメルケルのことを「庶民」として捉えているようだった。確かに彼女は旧東ドイツ出身の物理学者だ。そして生粋の政治家ではないことでいろいろ揶揄されたこともあった。

しかし、彼女のいう言葉には重みがあった。彼女自身が政治家2世ではなく、自由のない東ドイツで青春を過ごしていることで自由への渇望、それを奪おうとするものへの怒りは半端なかった。でも国民の大半が納得できる、するしかない重みがあったのだ、なぜならそれらが実体験だから。

上滑りする政治家の言葉ではなく、実体験を伴った本質的な言葉だった。

なるほどなぁ。でも彼女の後が続かない。独裁国家も全てが全て悪いわけではない。が、その後が続かないという意味ではデモクラシーと同じく脆弱なシステムだという結論に至った。

 

ある時CARで患者の12歳の子を看取った時、その子の母親にこの子どもの名前を聞いたんだと。だけど幼子を抱えた母親は「わからない。彼には名前がない」と言い放ったそうだ。

それに麻酔科医ははじめ怒りが込み上がって来たと。「子どもの名前を知らないとはなんだ! そんなことあるわけないじゃないか」と。

 

後から気づいたのは「その子の名前を呼んだら現実になってしまう。死を受け入れなければならないのでは」ということだった。

 

カロリン・エムケの本にもまさにそのことが書かれていた。

「自分の目で見ているものを、具体的に、正確に、直接的に言葉にしてしまえば、それはもはや拒絶することのできない事実になってしまう」(p31、『なぜならそれは言葉にできるから』みすず書房)。

 

その患者の家族がそうだったかはわからない。しかし、バイオロジカルな母親が、12年間も育てて来た母親が悲しまないわけがない。その表現方法が国によって本当に違うことを感じる。

 

私の場合はどうだろう…。拒絶/否定、怒り そして深い悲しみ、受容へ。。。キューブラーロスの過程と同じか。